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なんちゃって歴女日記♪:その3
こけ地蔵 / セーマンドーマン!!   陰陽師の里は播磨にあり!?


 加古川市東神吉町にひっそりたたずむお地蔵様。うっかりすると見落としてしまいそうなこのお地蔵様は、実は陰陽師(おんみょうじ)蘆屋道満(あしやどうまん)ゆかりのお地蔵様です。
 陰陽師というと、怪しくも美しく呪術をあやつる安部晴明(あべのせいめい)…が有名ですが、この晴明のライバルとして必ず登場するのが蘆屋道満で、道満法師とも言われます。
 加古川市西神吉町岸にある正岸寺は、蘆屋道満の屋敷跡と言われ、道満の像や位牌が祭られた祠があります。傍らには道満井戸(式神を閉じ込めた井戸)があったということですが、今は埋められてわかりません。そこから約2,5キロほど東にあるのが「こけ地蔵」です。


 道満は、毎日夜になると屋敷から升田山古墳の石室まで式神を伴って通っておりました。そこで朝まで式神を相手に陰陽の術を修行していたのです。ある日、安部晴明のうわさを聞いた道満は、自分の術を試すため京に上ることにしました。式神を屋敷の井戸に閉じ込めて、道満はひとりで京に旅立ちます。
 式神は主人がいなくなっても、毎晩井戸を抜け出し、火の玉になって修行の場に通いました。毎日夜になると同じところを行き帰ってくる赤い火の玉を、村人は道満さんのひとつ火と呼びました。ところが式神は、主人のいない寂しさの余り、天下原のお地蔵さまに体当たりしていくので、お地蔵様はいつもこけてしまいます。翌日村人が立て直しても、かならず次の朝にはお地蔵様は傾いているので、いつの間にかこのお地蔵様を「こけ地蔵」と呼ぶようになりました。

 蘆屋道満にまつわる話で、微笑ましいエピソードはこれくらいでしょうか。おどろおどろしいイメージの式神が、寂しくてお地蔵さまに八つ当たりしている姿、それでも毎晩せっせと修行に通うところは、のちの道満をとりまく物語からは考えられないほど、道満の慕う気持ちにあふれています。

 時は平安時代、さまざまな災難は魑魅魍魎が引き起こしていると思われていました。たたりや呪いを恐れた朝廷は陰陽寮を置き、そこで陰陽師と呼ばれる呪術師は天文や暦をつかさどり、吉凶を占い、術を使い怨霊を祓っていました。安部晴明は、式神(しきがみ)をあやつり、宮廷お抱えの陰陽師として絶大な力を持ったスーパースターで、実在した人物と言われています。
 対する蘆屋道満は民間陰陽師です。大陸よりの渡来人の末裔とも思われる民間陰陽師集団が播磨を中心におり、その象徴たる人物が蘆屋道満として語り継がれて、こちらも式神を自在に操る凄腕呪術師で、安部晴明も恐れていたというほどですが、生没年も分かっておらず、諸説あり、謎の多い人物です。
 ヒーロー安部晴明と悪役蘆屋道満。後に浄瑠璃や歌舞伎の中で伝えられたお話は、ほとんどがこの勧善懲悪なお話になっていますが、蘆屋道満が官僚化した陰陽師に対抗意識を燃やして都にのぼり安部晴明と渡り合った中で、朝廷に都合よく解釈されていったら、結局悪者に仕立て上げられていた…というところかもしれません。

 数々の伝承の中で、蘆屋道満は見事なほどの悪役ぶりで描かれています。
 歌舞伎「蘆屋道満大内鑑」…悪役道満を庶民に定着させた作品を紹介します。

 北斎書 晴明と道満

「絵本百物語」より 葛の葉
 天下一の博士とうたわれた蘆屋道満という陰陽師がおりました。
 この道満の弟、河内国の守護石川悪右衛門は、妻の病気を治すために、兄の蘆屋道満に占ってもらいます。
道満曰く「若い女狐の生き胆を与えよ」。
 悪右衛門は信太の森に狩りに行き、白狐を見つけ捕らえようとしているところに、安部保名(安部晴明の父)が通りかかり、白狐を助けます。その折、保名は怪我をしますが、そこに現れた葛の葉という女性に介抱されます。そして二人は結婚し、童子丸という子をもうけます。

 それから5年後、うっかりと白狐であることがばれてしまい、葛の葉は二人の元から去って行きます。
 保名は童子丸と共に信太の森へ行き、そこで白狐である葛の葉に再会します。葛の葉は形見として、息子童子丸に「水晶の玉」と「黄金の箱」を託すのでした。
 数年後、童子丸は晴明と名乗り、天文道を修めます。ある日清明の前に伯・道上人が現れて、「金烏玉兎」を与えて言いました。”先祖伝来の「ほき内伝」とともに、この2巻を極めれば、限りある命さえ1度は蘇生する””汝の母は信太明神、母の残した秘符名玉を信じよ”
 そして晴明は日々研さんに励み、母の遺宝の力を借りて天皇の病を察知し、巻物を取って占い、かの道満にも治せなかった病を治してしまいます。晴明は昇殿を許され陰陽師に任ぜられます。
 これに悔しがった道満が呪術比べで決着をつけようとしますが、逆に敗れてしまいます。腹を立てた道満は手下を使い晴明の父保名を暗殺しますが、晴明は伯道上人から授かった生活続名の方により、四肢が切断された父を見事蘇生させてしまいました。
 晴明は蘇生した父を伴い道満の前に現れ、驚く道満の首を打ち取ります。
 かくして安部清明は天文博士に召されたのでありました。

 「正義の味方」安部晴明と、「天下の悪役」蘆屋道満・・・・これを崩すお話は見つかりません。

 中国に呪術の勉強に渡った清明の留守中に、清明の嫁と通じた道満は、帰ってきた晴明の持つ巻物をこっそりと写し取り、それを咎められたため、晴明を殺してしまう。中国の師匠が晴明の身に起こった変化に気づき、晴明をよみがえらせて…

 というようなドロドロのお話が多くて、少々食傷気味です。
 宮廷につかえた晴明を美化するためにも道満の悪は限りなく残忍に…。
 ともかく蘆屋道満は,ことごとく晴明とは対極の、影・陰・悪として描かれています。

 ところが不思議なことに、このライバル道満と晴明の塚が、仲良く佐用町に祭られています。
 大木谷は道満が都を追放されてその付近に住んだということですが、二股に分かれた谷の東西に、お互いが見えないようにそれぞれが祭られているのです。佐用は天文観測にはうってつけの土地だとか、晴明も行ったのでしょうが…それにしてもなぜ?とまた謎が増えてしまいました。

 陰陽道は明治時代に迷信として廃止されましたが、現在でも暦や節句その他宗教や行事の中で生き続けています。
 道満家は陰陽道の名家として多くの法師陰陽師を輩出し、近世まで受け継がれてきました。中央の陰陽師とは別系の播磨陰陽師集団は、さまざまな芸能・民衆文化に形を変えながら存続してきました。

 ともあれ現代こそ、見えない魑魅魍魎が…かも。道満法師にリベンジをかけて蘇っていただきたいものです。






おまけ:佐用町に伝承されている文書に、道満は法道仙人に出会い道満学を確立したとあります。が、法道仙人が播磨に伝承を残している時代とはかなりのずれがあります。わかっているのは安部晴明(921年〜1005年)ですが、法道仙人は播磨で寺院を開基したのが650年ごろ。いくら仙人でも無理があるかも。
さらに、「今昔物語」(平安末期作)には蘆屋道満の話はありません(安部晴明の説話は載っていますが、その他の陰陽師は道満以外の播磨陰陽師が載せられています)。
蘆屋道満は実在したのか!?…謎です。
ちなみに法道仙人も大陸から渡来した不老不死で瞬間移動もできる超人として伝承されており、法華山一乗寺(加西市)など播磨一円で多くの寺院を開基したと伝わっています。が、こちらも謎の多い人物です。
播磨陰陽師の基は、この法道仙人といわれ、ゆえに播磨陰陽師は僧侶も兼ねていたようです。





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